2012/01/22

A great study on hip hop.

『ヒップホップはアメリカを変えたか?』
 S・クレイグ・ワトキンス 著 菊池 淳子 訳 (フィルムアート社) ★★★★☆ 
 Link(s): Amazon.co.jp / Rakuten Books

2005 年に出版された "Hip Hop Matters: Politics, Pop Culture, and the Struggle for the Soul of a Movement"(Link: Amzn)の訳書で、邦訳の出版は 2008 年。著者のS・クレイグ・ワトキンス(S. Craig Watkins)はテキサス大学(ラジオ / TV / フィルム学部)准教授で社会学アフリカン・アメリカン文化研究を専門にしているという学者なんだけど、エピローグにある記述によると、この本を書くための調査・研究した期間は大学院に在学してた時期らしく、テキサス大学のオフィシャル・プロフィールには生年月日は載ってないけど、けっこう若手の研究者ってことになるのかな。

訳書のサブ・タイトルに「もうひとつのカルチュラル・スタディーズ」、原書には 'Politics, Pop Culture, and the Struggle for the Soul of a Movement' とある通り、ヒップ・ホップ・カルチャーの社会的な側面を考察した本で、ヒップ・ホップに限らず、アフロ・アメリカン・カルチャーを取り上げたこの手の本はわりと好きなんで、なるべく読んでみるようにしてるんだけど、個人的にこの本に魅かれた理由は 2 点ある。ひとつは著者が若く、ヒップ・ホップ・カルチャーとともに育ったヒップ・ヒップ・ホップ世代であること。もうひとつは、出版されたのが 2005 年であり、わりと新しい情報までカヴァーされてること。

この手の本で、(最近のシーンの動きまでわりとスムースにつながる)2000 年以降の動きまで触れてるものは、日本語で読めるモノではそれほど多くないし、しかも、それを書いてるのがヒップ・ホップ・カルチャーをリアルタイムで体験してきた世代っていうのも興味深い。

それでいて、研究者が書いた本とは思えないような読みやすさも維持しつつ、いわゆる 'シーンの中の人' が書いたモノにありがちな閉鎖性というか、「当事者に本物と認められる」ために気を遣いすぎたりもしてないし、ヒップ・ホップの歴史もキチンとカヴァーしながら、ファッションやビジネス等の周辺部分にも言及しながらまとめられてる点も評価できるし。気になる点がまったくないってわけじゃないけど、期待以上に読み応えはあった印象かな。

先に「気になる点がまったくないってわけじゃない」点を挙げとくと、一番大きいのは 'ヒップ・ホップ・カルチャーの社会的な側面' に焦点を過剰に当ててるように読めなくもないってこと。もっと端的に言うと、ラップのリリックの内容に関して、政治的で社会性が濃いメッセージの部分を必要以上に強調してる感じがするって点。具体的には、古くはグランドマスター・フラッシュ  ザ・フューリアス・ファイヴ(GRANDMASTER FLASH & THE FURIOUS FIVE)の "Message" とか、その後のパブリック・エネミー(PUBLIC ENEMY)/ チャック・D(CHUCK D)とか KRS・ワン(KRS-ONE)みたいなタイプのラッパーのリリックのメッセージってことで、例えば、冒頭部でこんなことを書いてる。

ヒップホップは、保守的な文化や既存の体制に抵抗するムーブメントとして、その地位や評判を確立してきた。しかしヒップホップが巨大化するにつれて、戦うべき相手は他でもない "ヒップホップ自身" に変わってきた。爆発的な人気と経済的な発展の裏で、ヒップホップの本当の精神、本当の目的とは何なのかという問題をめぐり、内部で激しい論争が起こったからである。ヒップホップは他者に抵抗するだけでなく、己とも闘わなければならない存在になっていったのだ。
(中略)
ヒップホップは文化的に経済的にも大成功を収め発展してきたが、本来の能力を 100 パーセント発揮しきってはいない。現状を改革するための刺激や影響を若者に与えるという、ヒップホップ本来の力を完全に活かすにはどうしたらよいか、これが最大の課題なのだ。

もちろん、政治的・社会的メッセージってのはヒップ・ホップ / ラップの大事な要素であることは間違いないんだけど、決してそれだけではないし、「現状を改革するための刺激や影響を若者に与えるという、ヒップホップ本来の力」なんて言い方をすると誤解を生みかねない感じがするんで。

どういう誤解かっていうと、「ヒップ・ホップ / ラップ =(現状を改革するための刺激や影響を若者に与えるような)政治的・社会的メッセージを歌う(べき)ものだ」っていう考え方。これってけっこう質が悪くて、根深い誤解だったりする。もちろん、そういうタイプのモノもあるし、重要な要素・特徴のひとつであることは間違いないけど、でも、それが全てでもなければ、決して「べき」なんてモノじゃない。あらためて考えれば当たり前だけど、他の音楽と同様、何を歌ってもいいはずだし、その中には政治的・社会的メッセージ色が濃いものもあるってだけで。

そもそも、始まりの時点ではパーティ・ラップだったわけだし、"Message" のリリース以降も、相変わらずパーティ・ラップもたくさんリリースされてたし、セルフ・ボーストとかバトルとかラヴ・ソングとか、他の音楽と同じように、いろんなことがテーマになってきたわけで。しかも、本書でも触れられてるけど、グランドマスター・フラッシュ & ザ・フューリアス・ファイヴ自身も、"Message" の元になるアイデアを聞かされたとき、「この曲は売れないな。ディスコに行って、深刻な暗い問題について説教されたい奴なんていないだろう? 俺たちはクールに、楽しく馬鹿騒ぎをするグループなんだ」なんて言ってるくらいだし。

もちろん、ヒップ・ホップ・カルチャーの社会的な側面を考察することが目的の本なんで、著者がそこに主眼を置くのは当然なんだけど、ちょっと気を付けて読まないとって感じたっていうか、なんか、読んでて「あらかじめ結論ありき」感が否めなかったかな。「こうあるべき」的な著者の(ちょっと青臭さすら感じさせる)考え(希望?)っつうか。まぁ、若さなのかもしれないし、こういう考え方は個人的には嫌いじゃないし、共感はできるんだけど、でも、ちょっと冷静に読むと、突っ込みどころもあるかな、と。

"Hip Hop Matters" (2005)
まぁ、そういうモノだと思って読んでる限り、なかなか読み応えがあることは間違いない。ヒップ・ホップの歴史や発展のプロセスにもキチンと触れられてるし。

例えば、当時、アンダーグラウンドで流行ってたヒップ・ホップ / ラップにいち早く目を付けて、半ばインチキなカタチでシュガーヒル・ギャング(SUGARHILL GANG)の "Rapper's Delight" をレコーディングして(ヒップ・ホップ・シーンからは必ずしも認められなかったにも関わらず)大ヒットさせたシューガーヒル・レコーズ(Sugarhill Records)のシルヴィア・ロビンソン(SYLVIA ROBINSON)が、実は、嫌がるグランドマスター・フラッシュ & ザ・フューリアス・ファイヴを説得して(ヒップ・ホップ・シーンにも絶賛された)"Message" を世に送り出したのもシルヴィア・ロビンソンだったこととか、後のヒップ・ホップの特徴を象徴するエピソードとしてなかなか面白いし。

他にも、"Rapper's Delight" がヒットした 1979 年にラジオが果たしていた役割と、その後のアメリカの音楽シーンでのラジオの特徴の変化とか、ラジオと付随しつつ、レーベルやメディアとも結び付いたそれまでのブラック・ミュージックの保守的な体制 = R&B との(アフロ・アメリカン・コミュニティのライフスタイルの基盤を決める)覇権争いとか、1980 年代までと 1990 年代以降のアメリカの音楽シーンを根本的に変化させたビルビードのサウンドスキャンの導入(1980 年代までのビルボードが如何にインチキで、恣意的に操作されてたかがよく解る)のタイミングとヒップ・ホップの台頭の関係性とか、ヒップ・ホップ云々以前に、アメリカのポップ・ミュージックのハナシとしてもすごく面白いし。

あと、ヒップ・ホップがメジャー / メインストリームになっていくプロセスに関する言及も、なかなか興味深い。具体的には、1990 年代中盤以降、スヌープ・ドッグ(SNOOP DOGG)やらドクター・ドレ(DR. DRE)やら 2 パック(2PAC)等の西海岸産のヒップ・ホップを筆頭に、パフ・ダディ(PUFF DADDY)一派がヒットを飛ばし、南部からはマスター・P(MASTER P)が登場した時期なんだけど、一方でギャングスタ・ラップがアメリカのメインストリームを席巻しつつ、同時に、ある種の矛盾を孕んできたと著者は指摘してる。

ラップはたしかに、音楽業界で最も儲かるジャンルとなり、流行を生み出し、時代の文化を象徴する存在になった。だがポップス界におけるラップの位置は独特だった。なぜなら、ラップのプロデューサーというのはそもそも、ポップス特有の甘くありふれたメロディを打破しようとしてラップを求めた。ラップには都会的で、痛烈なリアルさや熱いスタイルという、それまでのポップス界にはなかった特有の個性があったからだ。彼らは音楽業界のニッチをうまく見つけ出して成功したわけだ。こうして、ラップは 90 年代に前代未聞の人気を誇るようになるのだが、やがて批判もされるようになる。それは、ラップがかつて闘っていた問題、つまりスタイルのマンネリ化や保守化にラップも陥っていったからである。

まぁ、ある意味でロックなんかも陥った部分でもありつつ、でも、同時に、本質的な「ヒップ・ホップとは何か?」的な問題にもつながる、けっこう重要で、ヒップ・ホップ・シーンでもわりと意見が分かれる部分だったりもするのかな。

例えば、ヒップ・ホップ・シーンの発展に大きく貢献したレーベル、トミー・ボーイ(Tommy Boy)の創設者のトム・シルヴァーマン(TOM SILVERMAN)の、自社株をワーナー・ミュージック(Warner Music)に売却した時期の以下のようなコメントが紹介されてる。

俺たちトミー・ボーイ・レコードは、ヒップホップの歴史だった。でも残念だが、今はヒップホップの多くが過去になりつつある。俺は今でもヒップホップに関心がある。ただし、ヒップホップが過去を振り返るのではなく、未来を作り出すならね。現在のヒップホップは、R&B がメジャーになった 1981 年頃 ー 俺たちが会社を始めた頃 ー によく似ているんだ。真のヒップホップの姿ではない。

また、リック・ルービン(RICK RUBIN)も 1988 年にデフ・ジャム(Def Jam)を去ったときの心境をこんな風に語ってる。

あの時、俺がラップを捨てたというより、ラップに捨てられた感じがしたんだ。オレがラップに関わったばかりの頃は、まだ誰も儲かってなかったし、そもそも金が目的じゃなかった。でも、儲かり始めると、誰かがやったことを真似て、二番煎じで儲けようって奴らが出てきた。もう、ラップをやる目的が違ってきた。金儲けの手段になってしまったんだ。

まぁ、どちらの言いたいこともわからんではないし、っつうか、どっちかっつうと共感もできるんだけど、でも、決して懐古主義的にヒップ・ホップを '過去のモノ' として考えるのも、それはそれで違う気もして、個人的にもちょっとモヤモヤするところだったりするんだけど。

ただ、間違いなく言えるのは、今となってはヒップ・ホップは(少なくともアメリカの音楽シーンでは)紛うことなきメインストリームの中心になってること(日本ではその認識さえちゃんとされてるのか、ビミョーな感じもするけど)。本書ではその大きなターニング・ポイントとして 1998 年を挙げてるんだけど、まぁ、具体的には 2000 年前後ってことになるのかな。実体験としても、ジェイ・Z(JAY-Z)やエミネム(EMINEM)の登場辺りからフェーズが変わった印象があったけど、この辺り以降の動きをどう捉えるのかで、「ヒップ・ホップとは何か?」的な問題に関する考え方に違いが出てくるんだろうな。

本書では音楽自体だけでなく、周辺への拡大についても触れられてる。具体的にはファッションであったりメディアだったり映画だったりミュージック・ヴィデオだったり。ギャップ(GAP)の CM に出演した LL・クール・J(LL COOL J)がこっそりと同郷のブランドであるフーブー(FUBU)のキャップを被ったまま出演して話題になったっていうフーブー設立当初のなかなか微笑ましいエピソードが紹介されてたり、アンダーグラウンドから始まった "Source" 誌と大手が参入して作った "Vibe" 誌の争いなんかも紹介されてたり、わりとシッカリとカヴァーされてる。

あと、わりと面白かったのはエミネムに関する言及かな。いろんな意味で、2000 年以降のヒップ・ホップのシンボルだと思うんで、当然、触れざるを得ないし、でも、その存在自体がかなりデリケートだったりするんだけど、なかなか上手いこと論じられてる。

もちろん、エルヴィス・プレスリー(ELVIS PRESLEY)との比較でも論じられてるんだけど、エルヴィス・プレスリーの場合、エルヴィス自身も彼を世に出したプロデューサーのサム・フィリップス(SAM PHILLIPS)もアフロ・アメリカン・ミュージックが好きな白人であり、エルヴィスが売れた大きな理由のひとつは彼が白人だったからなのに対し、エミネムの場合、プロデューサーのドクター・ドレはアフロ・アメリカンであり、エミネムが売れた大きな理由のひとつはドクター・ドレがアフロ・アメリカンだったからって指摘はなかなか興味深かったりする。

アメリカのメインストリームで売れるってことは、白人のティーンエイジャーの人気を得るってことだって事実は変わっていないし、共にアフロ・アメリカン・ミュージックを 'まるでアフロ・アメリカンのように' 歌う白人である点は同じなのに、白人のティーンエイジャーに指示される理由が大きく変わってるってことだし、それはイコール、社会情勢とかメンタリティの変化だと思うし、そこには間違いなく、公民権運動以降のアフロ・アメリカン・カルチャーの大きなうねりがアメリカ社会全体にどれだけ大きな影響を与えてきたかってことであり、同時に、その延長線上でありつつ、ある種の突然変異でもあるヒップ・ホップ・カルチャーのパワーでもあると思うし(まぁ、今後も「アメリカのメインストリームで売れるってことは、白人のティーンエイジャーの人気を得るってことだ」って部分が今後も変わらないのか? っていうと、それはそれで別の大事な問題だと思うけど)。

エミネム自身だけじゃなく、エミネムを発掘した当時のドクター・ドレの心境や状況についての言及も面白いし。エミネムはエミネムで十分突然変異的なアーティストなんだけど、ドクター・ドレはドクター・ドレでこれまたかなり特殊なアーティストで、この組合せだからこそエミネムがあれだけの成功を収め、社会的に大きな影響を及ぼしたんだってこともよくわかる。

その他にも、ヒップ・ホップがメインストリームになるのにミュージック・ヴィデオ、特にハイプ・ウィリアムス(HYPE WILLIAMS)が果たした功績の大きさとか、ナップスター以降の本格的なインターネット時代の到来とヒップ・ホップ・カルチャーとの関係とか、ヒップ・ホップの描く女性観の問題(「私たちはヒップホップが大好き。でもヒップホップは私たちを愛してるの?」ってコメントが象徴的)とか、アカデミズムの現場での(音楽としての)ヒップ・ホップとか、人種の枠を超えて広がるヒップ・ホップ・カルチャーの影響力とか、2009 年のバラク・オバマ(BARACK OBAMA)大統領就任につながるようなヒップ・ホップ世代の政治的な動き、特に、単純に人種の問題ではなく、公民権運動世代との対立も出てきてる点とか、ラッセル・シモンズ(RUSSEL SIMMONS)のように成功した人間が政界に影響を及ぼすようになってる一方で草の根レベルの運動も広がってることとか、なかなか興味深い論点が多い。

ヒップホップ世代は、リーダーシップと政治力という課題に直面している。彼らは、生活の基本である教育や衛生管理などの公共サービスなど体制に影響を与えるため、抗議活動だけでなく、政治の内側に入っていくことも求められているのである。
彼らはリーダーシップを発揮しなければならないし、それは大変な責任でもある。だが年を重ね、賢明になりつつあるヒップホップとヒップホップ世代は、現実を直視しなければならない。若者の暮らしを大きく変えるには、これまでのヒップホップのオーラを発揮するだけでは足りない。これまで手にしたことのない権力を手に入れるべく、前進していく必要があるのだ。

上に引用した部分からも伝わってくるように、全体のムードはすごくポジティヴで、ちょっと若い青臭さみたいなモノの感じなくはないけど、その部分を差し引いてもなかなかの力作かなって言えるんじゃないかな。

あと、同時に、アメリカ社会自体の状況とか問題も見えてくる部分も面白い。まぁ、今のヒップ・ホップ・カルチャーを語ろうと思えば、アメリカ社会全体について語るざる を得ないんで、まぁ、当然っていえば当然なんだけど。でも、当然なことをキチンとカヴァーせずに、狭い議論に終始しちゃってるモノが少なくない中、かなり 包括的に問題点がカヴァーされてて、やっぱり、かなり読み応えがある。右の写真の通り、ポストイットだらけだし。

あと、本書の内容としては特別重要な部分ってわけじゃないんだけど、個人的にかなりツボだった点として、1998 年の "XXL" 誌の 'The Greatest Day in Hip Hop History' のエピソードがわりと詳しく紹介されてた点があるんで、最後に触れておこうかな。すっかり忘れてたけど、当時はかなり感動したし(雑誌自体もどこかに保存してあるはず)。今、あらためて見てみてもなかなか味わい深いんで。

"XXL" ってのは元 "Source" のスタッフが 1997 年に創刊した雑誌で、'The Greatest Day in Hip Hop History' は、下の写真の通り、新旧のヒップ・ホップ・アーティストたち総勢 200 名が一堂に会した様子を、人種差別の歴史を撮影し続けた作品で高く評価されていたヴェテラン・フォト・ジャーナリストのゴードン・パークス(GORDON PARKS)が撮影してモノ。写真は下のように誌面で折り込み 4 面の表紙としてフィーチャーされ、出版当時はかなり強烈なインパクトがあった記憶がある。


"XXL: The Greatest Day in Hip Hop History" (1998)

集まったのはグランドマスター・フラッシュやクール・ハーク(KOOL HERC)、グランドマスター・キャズ(GRANDMASTER CAZ)といったオールド・スクーラーから、スクーリー・D(SCHOOLY D)やラキム(RAKIM)、スリック・リック(SLICK RICK)、ラン・DMC(RUN DMC)、ウルトラマグネティック MC's(ULTRAMAGNETIC MC's)、ア・トライブ・コールド・クエスト(A TRIBE CALLED QUEST)やデ・ラ・ソウル(DE LA SOUL)等、とても名前を挙げきれないほど豪華なメンバーで、撮影の様子はドキュメンタリーにもなっていて、今でも YouTube で観ることができる。

"The Greatest Day in Hip Hop History" (1998)


ドキュメンタリーのディレクションはアフロ・アメリカン・カルチャーの研究者として知られるネルソン・ジョージ(NELSON GEORGE)、ナレーターはクール・モ・ディー(KOOL MO DEE)というなかなか豪華なメンツで作られてて、モス・デフ(MOS DEF)が「おー、あそこにスリック・リックがいるよー」なんて喜んでたりしててなかなか微笑ましかったりするんだけど、こうして世代を超えた B・ボーイたち(しかも、どいつもこいつも指示を聞かなそうなヤツらばかり!)が一堂に会してる様子を見るのは、ただただ壮観。クール・ハークのいい仕事っぷりとか、観てるだけで、思わずニヤけちゃう。

"Esquire: A Great Day in Harlem" (1958)
上のドキュメンタリーの冒頭でも触れられてる通り、この企画には元ネタがあって、それは "Esquire" 誌が 1958 年に 57 人のジャズ・ミュージシャンを集めて撮影した写真をメインにして高く評価された 'A Great Day in Harlem'(Link: Official Website)。これにもソニー・ロリンズ(SONNY ROLLINS)やらセロニアス・モンク(THELONIOUS MONK)やら、豪華なメンバーが揃ってて、1994 年にはドキュメンタリーとして映画化もされてるんだけど、この写真が撮影されたのがハーレムの 126th ストリートの 5th アヴェニューとマジソン・アヴェニューの間で、'The Greatest Day in Hip Hop History' も同じ場所で 40 年後に撮影されてる。

'A Great Day in Harlem' 自体も素晴らしい企画なんだけど、それを踏まえた上で行われた 'The Greatest Day in Hip Hop History' もかなり秀逸な企画。サンプリングって手法自体もヒップ・ホップ的だし、ヒップ・ホップ・カルチャー自体の縦横(新旧・地域間)のつながりの強さや重要性を饒舌に表現しつつも、決してそれだけじゃなく、もっと大きなスケールで、アフロ・アメリカン・カルチャー / アートの大きなれとつながりを象徴してて。上にも書いた通り、1998 年ってタイミングもなかなか意味深で、その後のシーンの動きとかか拡大を考えると、ある意味、こんな牧歌的とも言えるようなことが実現したことも含めて、絶妙のタイミングだったような気もするし。いろんな意味で、すごく示唆に富んだシンボリックな企画だし、ヒップ・ホップ史を代表する写真の 1 枚って言えるとも思うし。


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